自由とは―最終章

ついに最後の章となりました。自由は誰が手に出来て、その手段は。そして、自由を活かす事についてお話しします。

 

先ず、自由を手にする資格とは

 

自由とはそもそも自由ではないと言う事です。秩序を制御する為に自由は自由でなくなる。私達は勘違いをしていると言う事です。動物社会に於けるリーダーのみが手に出来る自由は本当の意味での自由でしたが、このリーダーが全てに於いて秩序を作り統制していたからです。私達は学生時代、自由では有りませんでした。でも、その中でも自由を得るにはその対価を支払い、自由の一部を手にして現在に至っています。

 

自由への勘違いは例えば未成年者の喫煙、飲酒禁止です。健康を害する恐れがある為と言う名目ですが本来は自己責任であり、自由であれば関係ない。でも第三者が経験した事を伝えたり、第三者が害を受ける行為を規制するため自由に規制を設ける。

 

自由の一部を手に入れる学生の方法とは

 

学生は原則制服を着用します。極一部の進学校では制服は存在するが私服での登校を認めています。これは、一生懸命その進学校に入学する為に勉学に励んだ事に対する評価と、素行評価に於いての審査も問題がないと言う事から自由に対する規制を一部学校側が解除した例です。これ以外にも服を買いたいと仮定します。お小遣いは1000円。両親に次の成績表が全て4以上だったら、3000円欲しいと伝えます。両親はこの学生にお小遣い1000円と言う規制をしています。但し、この学生がこの規制を一時的に解除する対価は勉学に励み良い成績を収める事。こうして私達は自由を規制しているものを一時的或は一部解除させる方法を学んできました。

 

但し、この規制は成人になると解除されるものが多く存在します。それによって私達は勘違いを起こす。

 

「飲酒・喫煙が出来る。ギャンブルが出来る。夜でも出歩ける。」

 

これは、確かに自由に対する規制を一部解除していますが、極僅かであると言う事にも拘らず、私達は大人=自由と錯覚を起こす。今迄自由を手にする為の学んで来た、自由を手にする為に支払う対価を忘れて。何をしても自由。この風潮が日本全土に伝染し、今では自由と言う言葉がどこでも魔法の如く使われています。

 

対価を支払自由を手にしているものに対しての第三者の妬み

 

学生時代より学んで来た自由を手にする方法を忘れずにその方法を守り自由を手に入れている人々も多く存在します。しかし、その人達を周囲はこう評価する。

 

「金を持っているから特別扱い。何であの人達だけ?ずるい。」

 

本来、自由を手にしていいのは力を持つ者だけ。しかし、もう少し領域を広く持たせるならば、前述のように対価を支払い自由の一部を手にしているもののみ。残念ながら、人間は豊かさを恋いこがれ、これだけ進化を遂げても人より上を目指す本能を残しています。その一方、苦労や努力と言った文字に対しては無視するようになり自分たちを滅ぼす一途を辿っているように思えて他なりません。

 

自由を活かし自分たちを活かす手段

 

自由は自由ではなく自由を得る為には平凡ではいけない。自由は優しさや同情から生まれるべきものではなく自由の解釈を誤るものは自由に犯され貪られ自分を見失う。自由を得るものは自由の活かし方を知り、最適な方法で自由を用いる。日本を富国で住みやすい国に作りかえるのであれば、必須でしょう。日本は自由に弱い。