自由とは―その3

その3では主従関係を崩壊させる手段を知った私達が考えた次の手についてお話しします。

 

人類は、この方法により今迄は力を持つ者のみに許された自由と言う特権を手にしようと考えました。

 

「皆自由平等で平和な社会そして同じ賃金」

 

動物社会から人類へと進化しても受け継がれて来た弱肉強食体制から進化を遂げた資本主義から社会主義の誕生です。これは画期的な考え方ではありましたが実際にこの主義を取り入れたソ連は見事に解体になりました。簡素化して述べます。

 

社会主義は理想論とすればとても良い考えで全てに於いて平均化すると言う事。しかし、動物の要素を受け継いで来た人間が全て同じで満足するでしょうか?主従関係を崩壊させると言うそもそもの考えを持つ事こそ社会主義が成り立たない事を人類が立証しているにすぎません。ある者は、人の倍以上労働し、ある者は何もしない。でも、支払われる賃金は同じ。評価もほぼ同じ。こういう状況が続くと、必ず誰かが怒りを積もらせ爆発する。

 

「なぜあいつは仕事をせず金を貰い、私は仕事を人以上しているのにこれだけしか貰えないんだ?」

 

社会主義が崩壊の一途を辿り、皆が同じように自由を手にする事は出来ませんでした。

 

次に共産主義です。これは様々な捉え方が有り語弊を招くかもしれませんが、一番分かりやすく言えば資本主義の反対、労働階級社の為の主義。これを掲げる代表的な国としては中国毛沢東政権下です。

 

共産主義の思想は多くの民衆の支持を仰ぎ、揺るぎない信頼を勝ち取りました。しかし、これは富を得る事を良しとしない。富を得ると取り締まられる。これは長続きしません。従って、この主義も本当に自由を手にすると言う意味では上手くいかなく現在は色々は主義の良い部分又は都合の良い部分だけを取り入れた複合主義を掲げる国も少なくないのが現状です。

 

さて、こうなるとその1で述べた自由とは誰のものから少し派生した形にはなりますが、誰が自由を手に出来るのか、そしてその手段は、と言う事です。自由シリーズ最終章ではこれについて述べたいと思います。